ルブタンへの道

ルブタンは履かずに飾る。そんな道楽を目標にユラユラ生きる人生の記録

母のこともっと好きだと思ってた

母が生きていた頃、私は母のことが大好きだと思っていた。
母のことは私が守って生きていこうとさえ思っていた。
はずなのに、
亡くなってしまったらもっと日々泣いて、思い出しては泣いてっていう日々を過ごすのかと思いきや、そうでもなかった。
まぁ確かに、葬儀屋の手配から始まりお通夜、葬式、初七日、四十九日とセレモニーを行いつつ、役所や銀行、クレジットカード解約、保険申請など諸々手続きとかしてたら泣いている暇はない。家族葬といえどもなかなか落ち着かないもんだった。
やれやれ、と思った頃にはもう3か月ぐらい経っていた。
母は花が好きだったから生花を切らさないように仏壇に飾ろうって思っていたけど1回で終わった。夏になり花の持ちが悪くなるともう花は飾らなくなってしまった。
そして最近はそんな母のことも思い出すことが少なくなってきた。
みんなそんなもんなのかな。


昔、南田洋子さんと長門裕之さんという俳優の夫婦がいた。
その南田洋子さんがテレビで話していたことを聞いて、子供ながらにもなんて冷たい人なんだろうと思ったことを覚えている。
長門裕之さんが南田洋子さんに「僕が死ぬときはずっと手を握っていてほしい」と話したところ南田さんは「いいわよ、でも死んだらすぐに手を放していい?死んでしまったらもう触りたくないから」というようなことを言っていた。なんか命が無いものに触りたくないみたいなことを言っていたのかな。私は子供だったけどその考え方にびっくりした。
最近これを思い出して、私も似たようなもんなのかなぁと思う。
死んだ人に興味がないというのは語弊があるけど、気持ちが向かないというか。
でもそれはもしかしたらお別れの時間をたっぷりもらったからかな。
ある日突然のお別れだったらまた違ったんだろう。


最近は馴染みのある芸能人が亡くなっている。馴染みってこっちが勝手にテレビで見てるだけだけど。なんか知っている人ばっかり亡くなるなぁって思ったけど、たぶん自分もそういう年齢に近づいたってだけの話なんだな。KANさん、B-T桜井あっちゃん、Birthdayチバ。
「私の番もそろそろか?」「いやいや、もうちょっと」なんて友人と話すことが多くなった。めっちゃ年寄りっぽい会話。