ルブタンへの道

ルブタンは履かずに飾る。そんな道楽を目標にユラユラ生きる人生の記録

やっぱり見た目は大事、なんだろうなと思った件

若い頃は私も見た目は気にしていた。
なんだったらそれに振り回されていたぐらいだったかもしれない。
でも40代も後半に差し掛かったころからそういうことに嫌気がさしてしまった。
急にバカバカしいと感じてしまったのです。
今思うとたぶんちょっと違う方向に着目してしまったんだろうな。


メイクもパンプスもラグジュアリーな下着も40代後半になると体に合わなくなった。
肌が痒くなったり、パンプスが合わな過ぎて歩くのがつらかったり、下着が肉に食い込んで痒くなったり、はたまた生地が合わなくて痒くなったり・・・。
体重が変わらなくても内臓や肉が重力に負けて落ちてくるからか体形が変わる。
今まで身に着けていたものを着たかったら体をそちらに合わせるしかない。
それはたぶん生半可な努力では抗えない。
そんな状態になると「いったい何のためにこんなものを身につけなければいけないんだ!」となり、どうせ「おばさん」にカテゴライズされるならもう「女性的」でなくてもいいだろうという結論になった。
ちょうどコロナ禍も手伝って、マスクするからメイクしない、お出かけしないから服装も締め付けないゆるゆるラクラクで黒、グレー、クリームの3色の服が集まった。
自分的には女性という足かせから解放された気分で満足だった。
だけど・・・、なんか日常生活で「んっ?(#`Д´)」と思うことが多くなった。
「なんか、なめられてる・・・?」
存在を軽んじられているような、ちょっと下に見られているような、最初から小バカにされているような、そんな風に感じた。思い過ごし、かもしれないけどそうでもないかもしれない。でもそう感じるのは事実なので日々過ごすだけで変なストレスが溜まりイライラする。
これはよくない!と思い自分を振り返った。何が原因だろうと。
「やっぱり、見た目か・・・?」
それは美醜という意味でもなく、ジェンダーとかでもなくて、その人の生き方とか思考とか人間性を見られているのではないかと。


大事なことだとわかっていたはずなのに蔑ろにしてしまっていた。
私の持論だけど、品性って自分を律することで身に付くものかなと思っている。
自分を甘やかし自堕落に生きていると品性のない人になる、と。
品性が感じられない人に対してはやっぱりそれなりの扱いしかされないのではないかなと。
昔父に言われたことがある。
「俺は出かけるときは必ずスーツかジャケットを着てちゃんとしてそうに見える格好で行くから不当な扱いを受けたと感じたことは無い。おしゃれか知らんけどお前らみたいに汚いとは言わんけどラフな格好しとったら丁寧には扱われんわ。服装なんか関係ないぐらい圧倒される気品があったら別やで。しかしそんなもん一般庶民には出されへんわ。だから服装でごまかすのや」と。
すっかり忘れていた。
身だしなみって自分はどういう人間かを表現するもの・・・うーんなんかちょっと違う。
いい表現が見つからないけど、適当にすると適当に扱っていい人みたいな印象を与えてしまいがちなのかな。
だから見た目は大事なんだなと身に沁みたのでございました。